映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

友罪

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ある町工場に、二人の若者が新入りとして入ってくる。元週刊誌記者の益田と、工場を転々としているらしい鈴木。二人は、会社の寮となっている一軒家に先輩社員と暮らし始める。益田は先輩たちともそつなく付き合うが、鈴木は愛想が悪い。部屋がとなり同士の二人は、やがて相手が夜中にうなされていることに気づく。

 

実は益田は中学生の時、自殺した友人がいる。そのことと関連のある何かで苦しんでいるらしい。一方の鈴木は謎だらけだ。寮の仲間を避け、夜はひとりで町をさまよう。どこか現実離れした鈴木の雰囲気は、親しみを持つのをためらわせる何かがある。益田はある時、自殺した友人と雰囲気が似ていると、鈴木に言う。

 

「俺が自殺したら悲しいと思える?」

 

と鈴木が聞く。

 

「悲しいに決まってるだろ」

 

ためらいがちに答える益田。

 

しかし、益田はひょんなことから、鈴木がかつて世間を震撼させた事件の犯人、少年Aではないかと考え始める…。
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監督は「64-ロクヨン‐」の瀬々敬久。原作は薬丸岳の同名小説。パンフレットのプロダクションノートにはこう書かれている。

 

「原作は『神戸連続児童殺傷事件』から着想を得ているが、本作は実際にあった事件の余波や現在地を、憶測を元に再現するための映画化ではない。脚本開発で最も重視されたのは『業に囚われても生きてゆく人間の姿、そのもの』である。そのために今回は映画の主たる視点を、あえて加害者側のものに寄せると決めた。すべての人が受け入れられるものではないかもしれないが、人間というものに対するある種の“願い”を、表現者として提示する、その決意に行き着いた。」

 

“願い”とは何か。

 

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映画は、鈴木が偶然知り合って友だちとなった元AV女優、交通事故で子どもを3人死なせた息子の贖罪に生きるタクシー運転手など、自らの過去が現在をがんじがらめにしている人たちが登場する。もちろん鈴木も益田もそうだ。やがて鈴木は、益田の落ち度によって週刊誌に登場してしまうことになる。鈴木が少年Aであったことを知った人々の反応はほろ苦い。

 

大小にかかわらず、後悔がまったくない、という人間は少ないに違いない。ただ振り返ってみれば誰しも、このようにしか生きられないからこのように生きた、という面があるのだと思う。しかしそこに自分の行為の被害者がいたら…。精神科医斎藤環「罪を背負った人間は幸福になれるのか」と自ら問い、こう答えている。

 

「私は『なれる』と答えたい。彼らの自己愛を救済する手立ては、ある。それが、心を打ち明けられ、信頼することができる仲間やパートナーの存在だ。進んで孤立を選んでいた鈴木が自分を「友だち」と言ってくれた益田に罪を告白し、過去にAV出演を強要された傷を持つ藤沢と惹かれあうのは、そこにこそ自分の居場所を見出したからではないか。」                                                          

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鈴木は、益田に自らのことを打ち明けながらこう叫ぶ。

 

「それでも生きたいんだよ」

 

映画は「業に囚われても生きてゆく」人間の苦しさを伝える。そのことを糾弾せずに見守ることの出来る人間でいられるか、社会でいられるか。自分が被害者であったり、その関係者であったりすると無理かもしれないと思ってしまう。しかしそれでもそうあってほしいと、“願”わずにはいられない“思い”をこの映画に感じる。

 

監督:瀬々敬久
主演:瑛太生田斗真佐藤浩市夏帆
日本  2018 / 129分

公式サイト 

http://gaga.ne.jp/yuzai/