色づいた樹々の隙間に電車が走っているのが見える。少し秋のにおいがする。ここはパリの邸宅。インタビューを受けているのは女優、ファビエンヌ。かつて一世を風靡し、今なお映画出演のオファーが後を絶たない。とても貫禄がある。そして気難しそう。
―あなたは女優として誰のDNAを受け継いでいますか?
―誰も。私は私。
インタビューの途中でファビエンヌの娘が、夫と娘と一緒に帰ってくる。現在はアメリカで活躍する脚本家で、夫は俳優のようだ。ずいぶんと久しぶりの帰省だが、ファビエンヌの自伝本出版を祝うためだという。
ところがこの自伝本「真実」の内容が嘘だらけ。実家で読んだ娘のリュミールは記憶にある母の姿との違い、とりわけ母の友人で大好きだったサラという女優のことに一切触れていないことに腹を立てる。難詰する娘に、
「私は女優よ。本当の話なんかしないわ」
悪びれる様子のない母親と、納得がいかない娘の微妙な反目は、やがてお互いの感情を爆発させるにいたる…。
監督は是枝裕和。16年前「キャリアの晩年を迎えた老女優の楽屋の一夜」を描いた、舞台用の未完の脚本がもとになっていると言う。映画では老女優と娘を中心に、それを取り巻く男たち、そして孫の物語になっている。
「あの家で繰り広げられるちょっとダメな男たちと、過去を引きずっている女たちの対立をどこかクールに見つめている子供の目というのは、今までの私の映画にも繰り返し出てきますが、今回もそのような役割を子供に担ってもらいました。
深刻になるだけでなく、どこかそれが軽みと同居しているような、悲劇と喜劇が、まるで人生の背中合わせになっているような、そんな世界観を目指したのですが…。」
ファビエンヌの友人サラは、ライバル女優だった。ファビエンヌが賞を受けた作品の出演を争った経緯があり、その後に謎の事故死を遂げた。不在のサラがファビエンヌと娘のリュミールにいまだに影を落としている。
物語は、サラの再来と言われる若手女優マノンとファビエンヌが共演する映画の撮影を追いながら進む。それは年を取らない母親と年老いてゆく娘が、何年かごとに出会う物語。ファビエンヌは72歳になった娘で、若いままの母親と会話を交わすという難しい役どころを演じる。
女優としての矜持、不安、喜び…。映画はそれらを自然に映し出しながら、女優という存在にたいする素直な好奇心を感じさせる。ファビエンヌはマノンに対してサラを透かし見るような対抗心を感じていたのだが、撮影がすべて終わった後、サラのお気に入りだった洋服をマノンに譲る。
このシーンは、女優というものに対するものだけでなく、映画の歴史、映画そのものに対する純粋なリスペクトを感じて胸を打つ。今はここにいない多くの人が、目に見えない映画のバトンを受け渡し続けてきたのだ。主役のマノンは、このあと打ち上げに参加する予定だったが、やめたと言う。
「この空気感を壊したくないから」
リュミールがこだわっていた幼いころの記憶は、母親との会話の中で次第に変容してゆく。記憶の中の事実は未来の出来事によって変わる、とは最近見た映画「マチネの終わりに」でも言われていたが、それが説得力を持つのは、真実と嘘を熟知したファビエンヌの魔法だ。
逆に映画の終盤、孫のシャルロットがファビエンヌを喜ばせるちょっとした嘘をつく。そしてシャルロットは、
「これって真実?」
と母親のリュミールにきく。
しかしこの映画のタイトルは、どちらかというと「嘘」が似合う。「真実」は孤独でよそよそしい。「嘘」には相手が必要なだけのぬくもりがある。そうしたぬくもりがこの映画にはあるから。
監督・脚本・編集:是枝裕和
主演:カトリーヌ・ドヌーヴ、ジュリエット・ビノシュ、イーサン・ホーク
日仏合作 2019/ 108分
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