グレース・オブ・ゴッド 告発の時
フランス、リヨン。街を見下ろす高台には古い大聖堂がそびえる。人々はここに長く祈りを捧げてきた。ところが…。
1970年から20年にわたって、少年たち80人以上に性暴力を働いた神父がいた。ベルナール・プレナ神父だ。この作品は、被害者の子どもたちが大人になり、プレナ神父と教会に対し戦いを挑む物語である。ほぼ実話だという。
40歳のアレクサンドルは、妻と5人の子どもたちに囲まれ幸せな家庭を営んでいる。ある日、プレナ神父が今も子どもたちに聖書を教えていることを知り、自らの経験を告発する決意をする。それが発端だった。
告発することを決意するには、おそらく相当な内的葛藤があったと推測されるが、そのあたりはほとんど触れられない。驚くのはアレクサンドルが、妻はおろか自分の子どもたちにも、これまで秘密にしていたことをさらりと話すことだ。国民性なのか性格なのか。
だが、事態はのらりくらりとしか進まない。教会は同情を示すが、肝心のプレナ神父に対する制裁などを行う気がまったくない。こうした成り行きに業を煮やしたアレクサンドルは、刑事告訴に踏み切るが…。
監督はフランソワ・オゾン。当初はドキュメンタリーを撮るつもりでいたが、取材した被害者たちはむしろフィクションに興味を持っていたので、方針転換したという。
「私にとって重要なのは、子ども時代に傷つけられた男性たちの心の奥を語ることと、彼ら被害者の観点からストーリーを語ることでした。彼らの経験と証言には忠実でありつつ、周囲の人々やその反応については自由に描きました。…彼らはフィクション映画の主人公になったのです。」
アレクサンドルは告訴したのだが、物語は別の主要人物が現れ、彼は後景に引いてゆく。このあたりは、事実関係の時系列を重んじるドキュメンタリーのにおいを色濃く残している、と思う。フィクションにしては不思議な構成なのだ。ただ、そのことで対決の物語はより複雑な、そしてそれ故に普遍的な人生の物語へと転調してゆく。
アレクサンドル以降に登場する人物は2人。「沈黙を破る会」を立ち上げるフランソワは、被害を受けたこと、それを公にすることで家族間のしこりを抱えるようになる。また、会の記者会見を見て名乗り出たエマニュエルは、人間的な弱さを抱え、そのことが戦いに不穏な影を投げかける。
前半が戦いの物語であるとしたら、後半は戦いの成り行きに沿いながら、関わった被害者の人生、人間性そのものが主題になっていると言っていい。
最初に告訴したアレクサンドルも、もちろん「沈黙を破る会」に参加し、後半の物語に登場してくる。そして終盤、初めて彼の内面を見つめるエピソードがつづられる。
会を立ち上げたフランソワが「信仰を捨てる」と告白したとき、信仰心が篤い彼は反対意見を述べるのだ。
「外に出てはいけない。改革は内部からやらないとだめだ」
ところがフランソワはこうつぶやく。
「何を言っている。何も変えられなかったくせに」
ショックを受けるアレクサンドル。同じ夜、息子にこう問いかけられる。
「父さん、今も神を信じてる?」
その時、彼はどう答えるだろうか。息子を見つめ返すアレクサンドルの表情の中に、私たちは内的葛藤をほとんど見せない彼の、本当の痛みのありかを垣間見ることになるのだ。
脚本・監督:フランソワ・オゾン
主演:メルヴィル・プポー、ドゥニ・メノーシェ、スワン・アルロー
フランス 2019 / 137分
公式サイト