映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

ニッポン国VS泉南石綿村

f:id:mikanpro:20180422133858j:plain

2015年4月、大阪府泉南市で「泉南石綿の碑」の除幕式が行われている。この地域は明治の終わりから100年にわたって石綿紡織業が地場産業だったという。

 

資料写真を背景に監督の原一男がナレーションで説明している。石綿は耐火性や耐久性に優れ安価で生産されることから、建築資材として重宝された。だが、その石綿は極めて恐ろしい側面を持っていた。人間の体にはいると20年以上の潜伏期間を経て、肺がんや中皮種などを発症させるのだ。

 

「静かなる時限爆弾と言われるゆえんである」

 

大阪泉南地域で石綿の被害にあった人たちは、2006年、黙認してきた国の責任を問う裁判を起こした。この映画は、その戦いを8年にわたって記録したドキュメンタリーである。監督の原一男にとっては、これまでにない取材対象だったという。「製作ノート」にこう記している。

 

「二十代の頃に、ドキュメンタリー作品を作る、という生き方を選択した時点で私には思い決めたことがあった。“生活者は絶対に撮らない”。“撮りたいのは表現者である”と固く自分に言い聞かせたのだ。…これからカメラを向ける人たちは、“生活者は絶対に撮らない”と、私のルールとして思い決めたまさにその人たちなのであった。果たして普通の人を撮ってオモシロイ映画になるだろうか、という不安を抱えながらのスタートだった。」 

                                                                          f:id:mikanpro:20180422133945j:plain

 この疑問と不安は、撮影の最後まで残っていたらしい。しかしでは、なぜ原監督は「普通の人」である彼らを8年間も(!)撮影し続けたのだろう。なぜ途中でやめて別の“表現者”を撮影しに行かなかったのだろうか。

 

考え得るのは、彼らの“何か”に惹かれ続けたからだ。想像するにそれは、普通の人が普通でない状況にある、ということではないのか。だから確信を持てずにいながらカメラを回し続けたのではないのか。その普通と普通でないものの落差に、見るものが考えさせられる要素が潜んでいるのに違いない。映像はないが、原告団のさまざまなインタビューを聞きながら、私たちはその落差を想像するのだ。

 

ただ原監督はあくまで“表現者”にこだわり続けた。そのことが映画の後半になってよくわかってくる。

f:id:mikanpro:20180422135124j:plain

休憩をはさんで、映画の後半が始まる(この映画は3時間35分と長いので丁度半分くらいのところで10分間の休憩が入るのだ)と、画面には原監督が登場し、取材相手に向けて語り始める。

 

「あの、原告の人たち、もっと怒っていいんじゃないかっていうような不満が私にはあります。…皆さんの動きを私はカメラを回しながら思うのは、何かこうじれったさと、何か本当にこういうことしかできないのかっていう悔しさとがね、いつも入り交じってんですよ」

 

すると相手が答える。

 

「なるほど。まあ、極端な話ね、厚労省前、総理官邸前で焼身自殺? いうことですよね、極端な話、フフ」

 

「いや、あの……そこまでは言いませんが」

 

この部分について原監督は、心の中では「はい!その通りです」と考えていた、という。撮影でそういうことを本当に狙っているのなら、それは不満が鬱積していくだろうなと思う。そもそも取材相手を間違えているのだ。     

                                                                          f:id:mikanpro:20180422134824j:plain

ところがこれ以降、映画に登場する取材相手は、何か「怒り」が増しているように感じられた。抱える熱量の大きさを感じられるほど、受け取る側の印象が強くなるのは間違いない。だが彼らは原監督にアジられて怒っているのかもしれないのだ。そのことが奇妙に冷めた感覚を与え続ける。

 

このテーマであくまで“表現者”を撮ることにこだわるのであれば、撮影する監督自身に最初から最後までカメラを向けるべきだったのではないかと思う。映画に登場する人たちの中で、おそらく唯一の“表現者”なのだから。

 

監督・撮影:原一男
構成:小林佐智子

編集:秦岳志
日本映画 2017/ 215分

 

公式サイト

http://docudocu.jp/ishiwata/