インド、ムンバイ。小さな部屋で子どもたちに地理を教えている白鬚の男。ナーラーヤン・カンブレ、65歳。時間が来ると町を横切って、イベント会場に向かう。そこではみなが待ちかねたように迎え、カンブレはステージに立って歌う。社会問題を訴える歌だ。とてもキレがいい。
♪ 大混乱の始まりだ
♪ 立て 反乱の時は来た
突然警察がやってきて、カンブレは逮捕される。しかし、この時歌った歌のせいではない、自殺ほう助の罪だという。彼の歌を聞いた下水清掃人が自殺したというのだ。裁判所で検事は、
“下水清掃人は下水道で窒息死しろ”
と彼が歌ったと主張する。否定するカンブレだが、目撃証人がいるらしい。理不尽な裁判劇が始まる…。
映画は裁判の進行にあわせて、検事、弁護士、裁判官それぞれの私生活を織り込みながら進む。監督は1987年ムンバイ生まれのチャイタニヤ・タームハネー。これが長編第一作。
「一番興味があったのは、裁判所における権威者、人の運命や時には生死を決める人たちも普通の人間であるということでした。それは、彼らの個人的な思想が裁判での決定に影響を及ぼしているということでもあります。もちろん、彼らも法律に従って仕事をしているのですが、解釈には彼らの個性が反映されてしまいます。それはすごく恐ろしいことだと思ったんです。」(ハフィントンポスト・インタビュー)
裁判が進むにつれ、証拠のいい加減さが次々に明らかになる。証人はプロの証言者で、いくつもの裁判で証言している男だし、下水清掃人はプロだからめったなことで事故は起きないとされていたが、実は満足な用具も与えられず、劣悪な環境で作業に従事していたことが分かる。
しかしいったい何のために、こんな嘘で逮捕されなければならないのか。結局は警察が逮捕したい、という人間を拘束するために、状況をねつ造しているだけなのだ。警察にはもちろん彼らなりの理由があり、カンブレは国家に害を加える人間と目されている。ただねつ造はねつ造だ。
しかも検事は検事でカンブレがどうなろうと知ったことではない。たんたんと有罪にするべく理由を語りつづけるだけだ。仲間の検事との会話では、同じ顔触れでもうあきたから早く20年で決まらないかな、などとうそぶく。そして休日にはよそ者を排斥する芝居を家族で楽しむ。それが「人の運命や時には生死を決める人たち」の姿なのだ。監督はこうも語っている。
「裁判所の所長や検事も市井の人間となんら変わらないのですが、だからこそ裁判所で見られる欠点は、ある種社会の欠点の反映なのではないかと考えたのです。」
見ていてインドの問題でありながら、日本の国会の状況を髣髴とさせるものがある。嘘や言い逃れがはびこり、事実に対するリスペクトがない。事実を大切にしない社会で私たちは安心して暮らすことは出来ない。「人の運命や時には生死を決める人たち」が恣意的にふるまって平気な社会は恐ろしい。
カンブレはこの先どうなるのだろうか。しかしこの男は淡々として動じない。このような社会に慣れてしまっているのか。ねつ造に慣れるというのもまた恐ろしく、淡々とした演出がそのことを静かにあぶりだす。
監督・脚本:チャイタニヤ・タームハネー
主演:ヴィーラー・サーティダル
原題:COURT
インド映画 2014 / 116分
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