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映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

パプーシャの黒い瞳

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監督・脚本:クシシュトフ・クラウゼ /   ヨアンナ・コス=クラウゼ

主演:ヨヴィダ・ブドニク

ポーランド/131分

原題「PAPUSZA」2013

 

ポーランドの美しい大地。その地を幌馬車で這うように移動する人々。ぬかるみに足を取られながら、いくつもの起伏を越えてゆく。何のために移動するのか。自分たちがジプシーであるから、という以外に答えようがない。そのような人々の物語。

 

「羽根のように軽く大地を歩けるように」

生まれたばかりの赤ん坊に祈祷師が何度も祈りをささげる。20世紀の初めのこと。ジプシーの一族に生まれ、パプーシャ(人形)と呼ばれた女の子がいた。長じて文字を習得し、言葉を紙に書き連ねるようになる。ジプシーの世界では珍しいことだった。

 

 私は火が大好き、自分の心と同じくらいに。

 大きな風と小さな風が

 ジプシーの少女を育てあげ

 遠く世界へ駆り立てた。

 雨は私の涙を洗い、

 太陽が、ジプシーの金色の父が

 私の身体を温め

 心を素敵に熱くした

 

それが「詩」であると教えたのは、ジプシーでない人間(ガジョと呼ばれる)の男だ。パプーシャたちに交じって旅を続けていた、このイェジという名の男も詩人である。ある日パプーシャの子供に「何を書いているの」、と問いかけられてこう答える。

「詩だ」

「詩って?」

「詩とは昨日感じたことを、明日思い出させてくれるものだ」

 

私たちが今、詩を読む機会は少ない。そもそも詩って何なのか分からない。この映画は詩人にとってなぜ「詩」を書くことが必要なのか、その秘密の一端に触れている。

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先ほどの会話を聞いていたパプーシャが言う。

 「ジプシーの言葉では、昨日も明日も“タイシャ”よ。」

 

ジプシーにとって大事なのは「今日」なのだ。過去を「記録」する必要もないし、未来を予言することもない。パプーシャは、イェジにつぶやくようにこう語りかける。

                                               

「あんた達は強く、私達は弱い 学問も記憶もない でもその方がいい ジプシーに記憶があれば、辛くて死んでしまう」

 

しかし、パプーシャの詩はポーランドの大地と森に呼びかけ、生命を謳歌する一方、ジプシーの貧しさを嘆き、「記録」する。

 

 神様、闇夜をお与えください、

 そしたら私は鍋いっぱいの肉を煮られる…

 神様、雨が降りませんように―

 私の天幕は裂けてぼろぼろ!

 水もなくパンもなく、

 風と空のほかは何もない!

 

イェジがやがて群れを離れガジョの世界に戻った後も、パプーシャは詩を書き送り続ける。ジプシーの喜びや悲しみを謳い、ジプシー以外の人に自分たちを知って欲しいと必死に呼びかける。辛くて死んでしまいたいような「記憶」を差し出し、何かにつながろうとする。パプーシャにとって呼びかけることが「詩」なのだ。

 

パプーシャが書いた詩は、イェジによってガジョの世界に紹介され反響を呼ぶ。しかしジプシー仲間からは、自分たちの秘密を外に漏らしたとして猛烈な反発に遭ってしまう。そして…。

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貧しさ、さげすみ、ヒトラーによる弾圧、戦後の定住圧力・・・。映画はジプシーたちの苦難の歴史を、時を自在に往き来しながら描いてゆく。物語と言うよりこれは「記憶」の断片だ。パプーシャが後世に伝えようとするジプシーの「記憶」が、風に吹きちぎられる木の葉のように映画の中を舞っている。

 

 でも私は書く、できるかぎり、

 たびたび涙を流しはしても。

 そして人々に何かを残す、

 世界は私を知り、思い出す、

 かつて不幸で貧しい

 ジプシー女がひとりいて、

 読み書きをしたがり、

 ジプシーの歌を歌いたがったと。

 

公式サイト http://www.moviola.jp/papusza/

  f:id:mikanpro:20150502112915j:plain   ※詩は「パプーシャ その詩の世界」(ムヴィオラ刊)からです