映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

37 Seconds

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ユマは23歳。脳性麻まひで車いす生活を送っている。母親と二人暮らし。冒頭、母親とふたりで風呂に入る。リアルで生々しいそのシーンが、物語の先行きを告げる。

 

ユマは友人のサヤカと共同でマンガを発表している。ただしユマはいないことになっている。本当はユマが物語も絵も描いているのに。サヤカはユーチューバーとしても大人気。それを横目で見るユマは、不満が募ってくる一方だ。

 

ある日公園で拾ったアダルトマンガ誌を持ち帰り、出版社に電話してみる。頑張って描いた作品を持って行ってみると、経験がないのがバレバレ。女性編集長に、

 

「妄想だけで描いたエロ漫画なんて面白くないでしょ」

 

と一蹴されてしまう。                

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これがきっかけだった。一念発起したユマは、出会い系サイトで複数の男性と会い、気に入った男性を映画に誘う。しかし、結局すっぽかされてひとりぼっち。どうにも気持ちが落ち着かないユマは、繁華街をうろついて、ついにはお金で男性を買うことに。おとなしそうな雰囲気だが、なかなかの行動力である。

 

料金交渉までしたユマがラブホテルの一室で待っていると、若いイケメン風の男性が現れる…。

 

脚本・監督はアメリカで活躍するHIKARI。この作品にも出演している熊篠慶彦氏との出会いから、障がい者の性をめぐる問題に着目した。「下半身不随の女性でも自然分娩できる人もいるし、いくこともできる」ということを知って、女性の身体って素晴らしいと感じたという。

 

「私は、障がい者の人たちでお涙頂戴の映画を作る気はさらさらなかったんです。だから観客の人たちは、『そうでなかったから良かった』と言ってくれました。多かれ少なかれ、家族や両親の問題、性や恋愛に対する不安や障害もそうですけど、人間である限り、世界共通でみんな抱えているんですよね。」

 

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自らの意思で積極的に行動を起こし始めると、さまざまな人との出会いが生まれる。障がい者を中心にサービスするデリヘル嬢、舞もその一人。何かと親身になってくれる舞は、ユマを連れ出し、洋服を買ったり化粧する喜びを伝える。試着室の前でユマがたずねる。

 

障がい者とセックスするのって普通の人とするのと違いますか?」

「・・・同じかな」

 

(このあとのセリフが聞き取れなかったのですが、勝手に想像すると、)

 

「男なんてみな面倒だからさ」

「自分もいつか好きな人とできるかなあ」

「・・・障がいがあろうと無かろうと、それはあなた次第」    
                  

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 ユマは、やがて心配性の母親と決定的に対立し、家出を決行する。その逃避行の過程で、自分たち家族の物語が徐々に明らかにされてゆく…。

 

ユマを演じた佳山明という俳優さんの笑顔がとてもいい。その静かな時にぎこちない笑顔の背後に、どれだけ苦しい夜を過ごしてきたのか、ということを思わせる深みがある。

 

「37秒」

 

生まれた直後、37秒間息をしていなかったらしい。もう1秒早く息をしていれば障がいを負うことはなかった、とユマは言う。終盤で彼女がぽつりとつぶやく言葉がある。

 

「だけど、自分で良かった」

 

ユマは自分で確認したかったのだろう、声に出すことで。だが見ている私たちにも勇気をもたらす、小さくて大きなつぶやきだった。

 

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監督・脚本:HIKARI
主演:佳山明、神野三鈴、大東駿介
日本  2020 / 115分

映画「37seconds」公式サイト

ジョジョ・ラビット

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鏡の前で10歳の少年が、自分自身に向かってつぶやく。

 

ジョジョ、10歳。今日からお前は男になる」

 

第2次大戦下のドイツ。ジョジョはこの日からヒトラーユーゲントの合宿に参加する。ところが、運動音痴で内気なジョジョは失敗続き。ウサギを殺せと言われ、怖くてできなかったことから「ジョジョ・ラビット」というあだ名までもらう始末。

 

そんなジョジョを励ますのは、ジョジョの妄想が作り上げたヒトラーおじさんだ。ジョジョは当時のドイツ人のご多分に漏れず、ナチスを信奉してしまっているのだ。

 

ある日、自宅で起きた物音を辿ったジョジョは、壁の裏にユダヤ人の少女が隠れ住んでいることを発見する。仰天するジョジョだが、

 

「通報したらあんたもお母さんも死刑よ」

 

と脅され、ユダヤ人のことを教えてもらうことを条件に、壁裏に住むことを認めることに。こうして大戦末期のドイツで、ヒトラーユーゲントの少年とユダヤ人少女との、奇妙な日々が始まる…。
              

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 監督は想像のヒトラーおじさんを演じている、ニュージーランド出身のタイカ・ワイティティ

 

ナチス主義は子どもの純粋さを剥奪した。単に子どもでいることができる、という子どもの才能が奪われてしまった。親に歯向かうようそそのかされ、実際にナチスに否定的なことを言う親は子どもに拒絶された。…このように大量の子どもたちの洗脳が行われたのは、本当に恐ろしいことだよ。」

 

ジョジョの母親のロージーはシングルマザー。父親は軍隊からの逃亡者と言われているようだが、実際に何があったのかは分からない。ユダヤ人少女をかくまっているのはこのロージーで、反ナチの活動もしているようだ。ただ、ジョジョに迷惑が及ぶことを恐れてか、ジョジョに自分の主張を声高に押し付けることもしない。だからジョジョは何も気づいていない。

 

ある日、ロージージョジョが町の広場に差し掛かると、絞首刑にあった人たちが何人もぶら下がっているのが見えた。ジョジョは母親に尋ねる。

 

「あの人たちは何をしたの?」

 

ロージーは答える。

 

「自分ができることをしたのよ」

 

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ジョジョの目線ですべて描いているせいか、全編がファンタジックな印象だが、押し寄せる現実はとても厳しい。ロージーも果たして無事で済むのか…。

 

主義主張でなく、ひとりの人間としてのユダヤ人と出会い、生身の個人に寄り添うことで、自分で物を考え始めるという設定が秀逸だと思う。

 

終盤、ジョジョは再び自室の鏡の前に立つ。そして自分自身に向かって言うのだ。

 

ジョジョ、10歳半。今日からお前は、自分ができることをする」

             

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 監督・脚本:タイカ・ワイティティ
主演:ローマン・グリフィン・デイビススカーレット・ヨハンソン
アメリカ  2019 / 109分

公式サイト

http://www.foxmovies-jp.com/jojorabbit/

 

シュヴァルの理想宮

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19世紀の末、フランス南部の片田舎にシュヴァルという男がいた。若くして妻を亡くしたが、その葬儀の時でさえ人前に出ることを嫌がるほどの、極端な人見知りである。変わり者だったせいか子どもは親せきが引き取り、シュヴァルは一人で生活するようになった。

 

郵便配達夫のシュヴァルは歩くのが仕事だ。黙々と山道を1日32キロ。のちに定年で引退するまで22万2720km、地球5周分を歩いたという。

 

人見知りのシュヴァルも、やがて新しい妻を娶ることになる。郵便配達の途中でよく見かける女性と恋に落ちたのだ。新しい妻となったフィロメーヌは、まわりから変わり者と一緒になったといわれるが、

 

「変わっているけど、心のきれいな人なの」

 

とすまして答える。

 

娘が生まれても、扱いが分からないシュヴァルは常におどおどしている。しかしようやく慣れてくると家庭は順風満帆だった。配達途中の山の中で、ある“石”を拾うまでは…。

 

ある時、山の中で大きな石につまずいた。その不思議な形に魅せられ持ち帰ると、それから着想を得て、自分で石の宮殿を作ることを思いつく。幼い娘に言う。

 

「ひらめいたぞ、アリス。君の宮殿を建てる!」

                                                                                                                                          

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監督はニルス・タヴェルニエ。もともとは俳優であったらしい。ドキュメンタリー作家を経て劇映画は3作目。これは実話である。

 

「この作品ではシュヴァルのつらく厳しい人生が描かれていますが、その背景には壮大な自然とドローム県の素晴らしい風景が広がっています。このコントラストを映像で表現したいと考えました。そして特に色調にこだわり、映画が進むにつれてシュヴァルの存在が優しく光り輝いたものに見えるようにしました。」

 

思いついてからが大変だ。石を拾って来ては手作業で石を重ね置いてゆくのだ。気の遠くなるような作業。フィロメールは大反対だったが、頑固なシュヴァルは結局譲らない。

 

幼い娘のアリスには、作りかけの宮殿は恰好の遊び場だったが、村人やわんぱく小僧たちにはからかいの的になる。

 

「ヘンテコ宮殿のお姫様」

 

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だがそのへんてこな宮殿は、次第に海外にも広く知られてゆくようになる。素人の建築物がなぜ?シュヴァルはだれに教わったと聞かれると必ずこう答える。

 

「木や風や鳥が教えてくれる」

 

パンフレットに寄稿されている建築家の岡啓輔氏の言葉が印象的だった。岡氏は15年前から東京の港区で、シュヴァルと同じように、コンクリートのビルを一人で作り続けているという。

 

「…ある日ふと、街の建物がすごくつまらなく見えてきたんです。誰かが頭で考えた図面の通りに、忠実に建てられただけで、死んでいるみたいだな、と。作る過程で携わる、多くの人間の意図をまったく反映していない。僕は、建てながら考えたことや感じたことを織り込みながら、作っていきたいと思いました。」

 

シュヴァルを演じたジャック・ガンブランがいい。自分自身を鑿で彫り込んだような表情が、シュヴァルの数奇な人生を映しこんでいる。

                                                      

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監督:ニルス・タヴェルニエ
主演:ジャック・ガンブランレティシア・カスタ
フランス  2018 / 105分

公式サイト

https://cheval-movie.com/

 

幸福路のチー

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台北郊外に幸福路という通りがある。チーは幼いころ両親と一緒にこの町に引っ越してきた。トラックの荷台に母娘人で揺られながらチーは聞く。

 

「幸福って何?」

 

お母さんが笑いながら答える。

 

「おなか一杯食べて眠れることだよ」

 

運河の水は汚く、工場からは怪しげな色の煙が漂ってくる。だがここがチーの故郷だ。入学した小学校では、金髪で青い目の女の子や、鳩飼の息子と仲良しになる。3人は鳩小屋の屋根に上っては、「ガッチャマン」の歌を歌いながら自分たちの未来を高らかに宣言する。

 

「偉い人になって世の中を変えるんだ」

 

それがチーの未来、のはずだった。

 

チーは今36歳。アメリカでアメリカ人の夫と暮らしているが、祖母の死の報に接して帰ってきた。ある深刻な悩みとともに…。

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監督は台湾のソン・シンイン。自らの半生をつづったが、半分事実、半分がフィクションだという。このアニメでは、先住民のアミ族だという祖母の言葉がとても印象的だ。チーが悩んだ時には、いつも独特のやり方と言葉で励ましてくれる。

 

「お前が何を信じるかで、人生が決まるんだよ。すべては思いの強さにかかっているのさ」

 

ソン監督は言う。

 

「比べる人がいないので、おばあちゃんというのはみな、ビンロウを噛んだりタバコを吸うものだと思っていました。でも学校に入ると、台湾原住民のアミ族は野蛮人だと教えられました。母もアミ族の血を隠していましたし、そのコンプレックスから私の祖母への感情は軽蔑に近かったと思います。」

 

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やがてその認識が変わっていく頃には祖母は亡くなっていた。

 

「映画の中の『チーにはアミ族の血が4分の1流れている』という台詞には祖母へのお詫びの気持ちが込められています。」

 

チーは成長すると、医者になって金持ちになるという両親の期待を裏切り、文科系に進んだ。卒業後あまり満足のできない仕事につくが、やがていとこの誘いでアメリカに渡ることになる。いつも少しだけ思い描いた未来とずれたところにいるチー。

 

今帰郷している彼女の悩み、それはアメリカで生活を続けるのか、それともこの幸福路に帰って来るのかという選択だった。帰って来るならアメリカ人の夫とは別れることになる。さらに大きな問題も抱えている。チーは幸福ではないのだろうか?
                          

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時々思うが、私たちは何かを目指して進んでいる時が一番幸福なのだ。手に入れたものに幸福を感じるのはたった一瞬でしかない。不思議なものだと思う。監督も同じことを言っていてとても共感する。

 

「劇中のおばあちゃんの言葉にあるように、永遠の幸せなんてないんです。だから私たちは、日々奮闘し続けなくてはいけない。幸せとはゴールではなく、私たちが進む『路』とともにあるものだと思っています。そんな想いをタイトルに込めました。」

 

作品は台湾の戦後史を背景に、幼馴染のその後の人生も挟み込んでゆく。ああこの国でこんな出来事があり、こんな女性がいたのだと、懐かしくて新鮮な驚きがあった。 

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監督・脚本:ソン・シンイン
出演:グイ・ルンメイ

原題:幸福路上

台湾  2017 / 111分

 

公式サイト

http://onhappinessroad.net/

 

家族を想うとき

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暗闇の中、面接を受ける男性と、雇い主らしき人の声。この仕事は雇用関係ではない、対等なパートナーだと説明するオーナー。やがて画面が明るくなると、ずいぶん体格のいいオーナーの前に中年の男が座っている。

 

「勝つのも負けるのも自分次第。できるか?」

「ああ、こんなチャンスを待っていたんだ」

 

イギリス、ニューカッスル。仕事は宅配のドライバーだ。個人事業主。車は会社から借りてもいいし、自分で用意してもいい。リッキーは、思い切ってローンで車を買うことにするが、頭金がない。家に帰ると妻のアビーに、彼女が仕事で使っている車を売ってくれと頼む。

 

アビーは、在宅介護の仕事を何軒も掛け持ちしているので、車がなくなるとバスで移動しなければならない。時間のロスが大きい。それでもリッキーの仕事が軌道に乗ればうまくいく―。そう信じるしかない。

                     
仕事は時間との勝負だ。配達時間は厳守。そのためリッキーは走り回り、帰宅も遅い。車が無くなったアビーは家にいる時間が減り、子どもたちだけの食事が増える。兄は16歳、妹は12歳。兄のセブは学校でたびたび問題を起こすが、1日14時間勤務では親として学校まで行く時間もない。

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問題を起こした息子に、負け犬になってしまうぞ、と怒るリッキーだが、

 

「父さんみたいに?」

 

と、冷たく返される。家族が少しずつ解体してゆく。持ち家で暮らすという夫婦二人の夢が、遠のいてゆく―。

 

監督はケン・ローチ。前作「わたしは、ダニエル・ブレイク」と同じく、現代社会の矛盾に満ちたありようを鋭く問いかける。

「これは市場経済の崩壊ではなく、むしろ反対で、経費を節減し、利益を最大化する過酷な競争によってもたらされる市場の論理的発展です。市場は私たちの生活の質には関心がありません。市場の関心は金を儲けることで、この二つは相性が悪いのです。ワーキングプア、つまりリッキーやアビーのような人々とその家族が代償を払うのです。」

 

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リッキーの家族には、次々と問題が降りかかる。多くは息子サブが起こす問題だが、対処したくても休むに休めない。ついに万引きで捕まり、警察に呼ばれるリッキー。こうして仕事を休むと、1日100ポンド(約15000円)の罰金だ。問題解決のため家族としばらく過ごしたいと言っても、休みを取るとお金も取られる。何かあるたびに罰金、罰金で、なんのために働いているかわからなくなるほどだ。

 

そんな中、ついにサブと大ゲンカ。サブが家を出ていった翌朝、リッキーは仕事の車に落書きされているのを見つける。おまけに車のキーまで無くなっていた。キーが無いと仕事ができず、また罰金だ。困ったリッキーはサブを探して走り回るが…。

           

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罰金、罰金というオーナーはビジネスの成功者なのだろう。自分が周りからどう見られているかもわかっていて、これがビジネスで成功するためだと冷たく割り切っている。自分は必死で努力して成功したのだから、成功しないのは本人の努力が足りないからと思っている。

 

しかしそうだろうか、と思う。あなたが成功したのはたまたまにすぎないと考えた方がいい。努力できる人間に生まれたのは自分の手柄ではない。同じような才能があり同じように努力しても、何かほんのちょっとの状況の違いでまったく別の結果が生まれることがある。

 

余りにも冷たく理不尽なオーナーの仕打ちが続き、ついに妻のアビーが爆発する時が来る。病院の待合室、衆人環視の中、電話口でオーナーに怒りをぶつけるのだ。

 

「私たち家族をなめないで」

 

電話を切ったあと、アビーは汚い言葉で相手を罵る自分を恥じ、号泣する。ふだん我慢強く、どんな老人も優しく介護するアビー。自分の生き方を逸脱してまでオーナーを罵るその叫びが、見るものの感情を強くゆすぶり涙があふれてしまう。しかし、叫んだ方がいいのだ、時には。

 

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監督:ケン・ローチ

脚本:ポール・ラヴァティ
主演:クリス・ヒッチェン、デビー・ハニーウッド
イギリス・フランス・ベルギー  2019/ 100分

公式サイト

https://longride.jp/kazoku/

わたしは光をにぎっている

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山間の湖のほとりに古びた小さな旅館がある。すでに営業が終わっている。都会へ出ていくことになった澪(みお)に、祖母がある詩集を手渡す。山村暮鳥の『梢の巣にて』。その中の詩の一説。

 

自分は光をにぎっている
いまもいまとてにぎっている
而(しか)もをりをりは考へる
此の掌(てのひら)をあけてみたら
からっぽではあるまいか

・・・

 

列車で東京に出た澪は、父の友人を訪ねるが、そこは一軒の古い銭湯だった。澪は居候しながらスーパーで働くことになる。しかし自分の考えを言葉にするのが苦手な澪は、客の質問やクレームにうまく答えることができない。ずっと年下のアルバイトが見かねて、いつも対応を代わってくれる。しかし帰り道でその女子高生に言われてしまう。

 

「なんでも察してくれると思わないでくださいね」

 

無口な人は、言葉を口にすることに含羞がある。それは、既存の言葉と自分の感情の乖離に違和を覚える繊細な感受性のためでもあり、自分の考えを知られたくないという自尊感情のためでもある。知り合った年上の女性にはこうも言われるのだ。

 

「澪ちゃんはさ、話せないんじゃなくて話さないんだよ。そうすることで自分を守ってる」

 

だがお客さんの対応はそれとは別次元の話、と思ったら、澪はすぐにスーパーの仕事を辞めてしまった。そして居候をしている銭湯の仕事を手伝い始める。この仕事はそれほど話さなくてよい。ところがこの町にも再開発の波が押し寄せ…。

     

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監督は中川龍太郎

「『10年後には存在しないかもしれない場所や人々の姿を残したい』ということを念頭に置いたとき、まさに今失われつつある葛飾区立石をメインの舞台に撮ろうと決めました。戦後の長い時間、綿々と紡がれてきた景色が再開発で無くなる前に撮りたかったのです。」

 

銭湯の常連である同世代の銀次は、古い映画館で住み込みのバイトをしながら自主映画を撮影している。この古い町並みとそこに生きる人々を記録に残そうとしているのだ。しかし、彼の撮った映画はだれも認めてくれない。

 

何かが失われてゆくのに、何も手を出すことができない。失われてゆくのが言葉にできないものだからかもしれない。人はこんな時、無口になってしまうのだ。澪はふろ場を掃除する。日の光を受けた湯を思わず手のひらにすくい取る。

 

詩の続き…。

 

からつぽであつたらどうしよう
けれど自分はにぎつてゐる
いよいよしつかり握るのだ
あんな烈しい暴風(あらし)の中で
摑んだひかりだ
はなすものか
どんなことがあつても

 

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銭湯にもいよいよ取り壊しの話が来る。経営が立ち行かず借金をすることも適わない。毎晩のように酔っぱらう主人。澪が語り掛ける言葉が印象的だ。

 

「最後までやりきりましょう。どう終わるかってたぶん大事だから」

 

そして澪はあることを思いつく…。

 

時はすべてのものを少しずつ変えてゆく。変わらないものがもしあったらすくい取ってみるといいのだ。この映画の温かな光ように。詩の最後はこう締めくくられる。

 

おゝ石になれ、拳
此の生きのくるしみ
くるしければくるしいほど
自分は光をにぎりしめる
山村暮鳥「自分は光をにぎってゐる」)

 

監督・脚本:中川龍太郎
主演:松本穂香渡辺大知、光石研
日本  2019 / 96分

公式サイト

https://phantom-film.com/watashi_hikari/

永遠の門 ゴッホの見た未来

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麦畑の小道をやって来る羊飼いの少女に声をかける。

 

「止まって。君を描きたいんだ。デッサンだよ」

 

驚き不思議そうに見つめる少女。カメラの目線は語りかけた画家、ゴッホそのものである。

 

すぐに場面が変わってパリのカフェ。芸術家組合の議論を横目に店を出るゴッホに、ゴーギャンが近寄る。日本の浮世絵のようなものを描きたい、日の光を描きたいんだというゴッホゴーギャンは言う。

 

「南に行け」
              
ゴッホは35歳。南仏のアルル。この映画は、ゴッホがアルルに赴きやがて亡くなるまでの3年間を追っている。ただし物語を説明的に追うことはしない。ゴッホが見た風景や人物を、なるべくゴッホの主観映像でとらえようと試みる。

                  

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麦畑が黄金色に輝き、丘の上からは遠く山々が静かに横たわっているのが見える。恍惚となる画家にカメラは寄り添い、ともに見つめる。ゴッホは言う。

 

「僕が見ているものを人々と分かち合いたい」

 

監督は、「夜になる前に」「潜水服は蝶の夢を見るジュリアン・シュナーベル。監督自身も画家であり、監督デビューは遅く、画家のバスキアを描いた作品で45歳の時だった。

 

「もともとありきたりの伝記には興味なかったし、ゴッホの人生などみんなもう知っている。そうではなく、ゴッホの中で何が起こったのか、彼の視点を通して語ることで観客は彼が感じたことを追体験できるような映画にしたかった。ゴッホに関する既成の事実や彼の手紙、その言葉を参考にしながらも、彼の絵画に関する私自身の感性、言葉にならないインスピレーションをもとにしてね。」

 

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生前のゴッホはほとんど認められることはなかった。それどころかアルルでは、彼の精神が病んでいるとして不安を覚えた市民たちが、彼を入院させることを嘆願する署名活動まで行われた。ゴッホは手紙にこう書いている。

 

「僕ら画家たちの生活は見すぼらしい。この恩知らずの地球の上では。ほとんど実際の役にも立たぬ画家という職業の困難なばからしいくびきの下に、むなしく月日を送るのだ。地上では『芸術への愛が真の愛を失わせているのだ』」ゴッホの手紙」小林秀雄

 

署名の大きなきっかけとなったのは、共同生活を始めたゴーギャンとの不和で自ら耳を切り落とした、有名な耳切事件だ。彼はある瞬間に意識が飛び、その間のことは記憶から無くなってしまう。普通の市民生活からすれば困ったことで、当然多くの問題を引き起こす。

 

「自然を見ると――すべてを結びつける絆が、より鮮明に見える。エネルギーの振動が、神の声が時々強烈すぎて意識を失う。」ゴッホの言葉:映画より)
                      

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彼の唯一の理解者は弟のテオだ。世界にただ一人兄の才能を認め、援助を続けた。それにしても芸術が認められるとか、受け入れられるというのはどういうことなのかと考える。ゴッホがその死後認められ、尋常とも思えない値で取引されていることはよく知られる。

 

「未来の人々のために神は僕を画家にした」(〃)

 

ゴッホは言う。

 

「人生は種まきの時期だ。収穫はまた別だ」(〃)

 

時代にあう、あわないということは確かにあるだろうけれど、認められる、ということの不思議さを思う。それにしても、芸術とはいったい何だろうか。芸術について絶対的な基準がどこかにあって、それをクリアしたものが芸術なのだろうか。たとえそうであったとして、普通に生きる人間にとって、それが芸術と名付けられることにどれだけの意味を持つのだろうか。

 

勝手な考えだが(誰かが言っていたような気もしますが)、芸術は波動である。作品内部の波動が時代に共鳴した時、だれにとっても感知できる調べとなって受け入れられる。だがたとえ時代に合わなくても、孤独に響き続けている作品があればそれは芸術と言っていいのだろう。それを感知するのはたった一人、自分だけでもいい。

 

感知する人間がいないとそれは社会的には存在しないと同様だが、それも感知できた人間にはどうでもいいことかもしれない。

 

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妄想や幻聴が悪化し市民の嘆願で入院したゴッホは、退院後オーヴェールの麦畑の近くで拳銃による重傷を負い、2日後に亡くなった。自殺説が有力だが、映画では別の解釈を取っている。

 

ゴッホの見たものを映像に定着しようと試みた作品だが、最もインパクトを与えるのはゴッホを演じたウィレム・デフォーだ。ゴッホを見たこともないが、これがまさしくゴッホだと思える不思議なオーラを放っている。必見だと思う。

 

監督・共同脚本:ジュリアン・シュナーベル
主演:ウィレム・デフォー
イギリス・フランス・アメリカ  2019/ 111分

公式サイト

https://gaga.ne.jp/gogh/