夜明け
遠い空で明るみ始めた山間の空気が青っぽく見えるのはどうしてだろう。一人の若者がふらふらと歩いてくると、橋の欄干によりかかり苦し気に息を吸い込む。手には花束。立っているのが辛いように、何度も顔を歪める。若者の、夜が終わろうとしている。
川の岸辺に若者が倒れているのを見つけたのは、木工所を営む哲郎だった。若者は哲郎の家で目を覚ますと「ヨシダシンイチ」と名乗った。
「なんだか、ありきたりな名前だな」
「すいません」
「なんで謝るんだよ」
「いえ」
哲郎は深く詮索しない。そのことが心地いいのか、シンイチはこの家に居つくようになり、木工所の手伝いをするようになる。哲郎の息子はすでに亡くなっているが、「シンイチ」はその息子の名前と同じだと嫌でも気づくことになる。若者はここに来るまでに何があったのか、物語はその謎を抱えながら進む。
監督は広瀬奈々子。是枝裕和と西川美和が主宰する制作者集団「分福」の新人だそうだ。
「他人に救いの手を差し伸べるというのは美談ではありますが、反面、優位な人間のエゴもどこかにあるのではないかと思います。また、その救いに依存する側にも、権力に媚びる卑しさや、自分を見失う危険をはらんでいます。・・・歪んだ関係の中にある複雑な感情を紡いだ作品ですが、物語はとてもシンプルです。主人公のもどかしい道程を、どうか辛抱強く見守ってください。」
木工所で仲間と働く日々の中で、次第に哲郎の過去に何があったのか、シンイチの過去に何があったのかが明らかにされてゆく。ある時河原でシンイチの財布を拾った哲郎は、シンイチに言う。
「死んだって何にもなんないぞ。どんなことがあったって、死んで解決することなんて何一つない。」
シンイチが答える。
「じゃあ生きてることに意味はあるんですか。正直こんな人生ならどうでもいいですよ。」
生きてることに意味はあるのか。このシンプルな問いにどう答えればいいのか、しばらくそのことを考えた。考え至ったのはこういうことだ。生きていることに意味はある。しかしどういう意味があるのかは誰にも決して分からない。そして、分からないからこそ存在するすべてがどこかでつながっているような気がする。
シンイチは哲郎の好意に甘え、木工の仕事を続ける気になる。しかし、過去この町で起きたある事件とシンイチとの関わりを疑う人間が現れ、それと同時並行するように哲郎のかかわり方の密度が増してゆき、次第に落ち着きを失ってゆく。
シンイチではないシンイチは、やがてシンイチであることに耐えられなくなる。人はやはり自分以外のものになれない。自分であることは苦しいが、自分以外のものであろうとすることはもっと苦しい。そして爆発する時がやってくる。
シンイチという人間は人とのかかわり方がとても不器用で、あえて言えばとても歪んでいる。そのことは最後まで変わらない。どうして自分の意志を表わすのに、こんなにも周囲を傷つけてしまうのか。映画のあとのシンイチもおそらく変わらず、自分の居場所が本当に見つかるまで長いながい放浪を繰り返すのだろう。
映画はなぜ彼の人生のこの期間を切り取ったのか。気がつくと元の場所に戻っている。この映画の夜明けは決して明るくない。次の夜が来る始まりのような、苦い青色につつまれたままだ。
監督・脚本:広瀬奈々子
主演:柳楽優弥、小林薫
日本 2019 / 113分
公式サイト