映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

世界で一番美しい少年

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ある老俳優が廃墟の中を歩く。その後ろ姿を追いかけるカメラ。男が世界を席巻した時代に享楽を尽くした建物だ。その禍々しさがひとりの俳優の人生を暗示する。


かつて「ベニスに死す」という映画で、「世界で最も美しい少年」と言われ、世界中の話題を集めた俳優がいた。ビョルン・アンドレセン。監督のルキノ・ヴィスコンティが、オーディションで彼を見いだす瞬間の映像が残されている。ビョルンはなぜか居心地が悪そうで、裸になってというヴィスコンティの注文に明らかな戸惑いをみせる。しかし映画に出演したビョルンは、その美しさで世界を魅了した。

 

それから50年。彼の外見はまるで別人のようになっていた。年齢が刻む以上の何かが彼の体に降り積もっているように。この間何があったのか、この映画はビョルン自身とともに旅をしながら振り返るドキュメンタリーである。

監督はクリスティーナ・リンドストムとクリスティアン・ペトリ。

「『世界で一番美しい少年』は私たちの社会の美に対する執着の物語です。大人の欲望がルールを決める世界に引きずり込まれた若者や子供にどんなことが起こるのか?…私たちは観客の皆さんにこの少年、この子供、あの人間の姿を見てほしいと思います。」

 

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驚いたことの一つはマンガ「ベルサイユのばら」の主人公、オスカルのモデルがこのビョルンだったことだ。作者の池田理代子が登場して、さらさらと描いて見せるオスカルの横顔は、ビョルンそのものだった。ビョルンは「ベニスに死す」の大ヒットのあと日本にやってきて、なんと日本語で歌謡曲を歌うアイドルとしても活躍していた。

 

その後の彼がどうなったのか、ほとんどの日本人は忘れ去っていたが、2019年、「ミッドサマー」という映画で再び目撃することになる。スウェーデンのある村で、年老いた人間は自分で崖から飛び降りて死ぬという風習を描いた場面。老人たちは、下にある巨大な岩に打ちつけられグシャグシャになるが、ビョルン演じる老人は岩に当たり損なって足を折るだけだった。そこへ村の若者が大きなハンマーをもって近づき、彼の顔面を叩き潰すのだ。

 

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人生を探る旅の中で、彼が最も知りたいのは母親のことだった。10歳の時に失踪し、その翌年に自ら命を絶った母親は、ボヘミアンであり芸術家、ジャーナリスト、写真家、モデルでもあったという。


叔母が彼女の電話での会話を録音し残していた。失踪後のその音声で、「自分はこういう自分であるしかない」と切羽詰まったように語る。それを老いたのちに聞くビョルン。こういう自分であるしかない、という『自分』。彼はそれが分からずさまよっているのに。

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「誰かの容姿について世界が強迫観念を持てば、その人物は内側から引き裂かれることもある」と、映画のプロデューサーは言う。彼は15歳で自分を見失い、20代で結婚するも幼いわが子を死なせた。その精神的な負担はどれほどだったかと思う。そして現在。老いた自分を助けてくれる恋人がおり、おそらくはそれほど面倒を見なかったにもかかわらず父親を十分に理解する娘がいる。もし「自分」というものが他者との関わりの中でしか見いだせないとしたら、今の恋人と娘が彼の希望である。

 

そしてこの映画の制作過程そのものが、彼自身を救っているようにも感じた。映画のオファーを受けたときの感想を彼はこう語っている。

 

「じっくりと考えて、こう思った。なんてこった。僕はただの精神的な重圧を抱えた哀れな奴ではないんだ。もしこの映画が誰かにとっての重荷を軽くするものであるとしたら、単なる自己満足的なものというよりもむしろ役に立つものになると思ったんだ。」

 

監督:クリスティーナ・リンドストロム&クリスティアン・ペトリ

製作:スティーナ・ガーデル

スウェーデン  2021/ 98分

映画『世界で一番美しい少年』公式サイト (gaga.ne.jp)