午後8時の訪問者 (2016年)
ベルギー、リエージュ。小さなクリニックで研修医に指導する女医がいる。ジェニーという。ひきつけを起こして子どもが倒れても、ぼーっと見守る研修医。ジェニーは研修医の態度が気に入らず、少し強めに注意する。その時、玄関のベルが鳴る。午後8時、クリニックを閉めてから1時間もたっていた。
「出なくていいわ。診療時間外よ」
しかし、そのあと注意した一言で、若い研修医はクリニックを出て行ってしまう。
「患者の痛みに反応しすぎるの。自分の感情を抑えなきゃダメ」
事情をよく知らないと、研修医はなんだか不思議な態度に見える。翌日、出勤しない彼に連絡すると、医者になることをあきらめたという。ジェニーは自分のせいではないかと悩むことになる。
さらに追い打ちをかけるように、昨日玄関のベルを鳴らした女性のことで警官が訪ねてくる。死体で発見されたという。防犯カメラには、何者かに追われている様子の女性が映っていた。
あの時、なぜ玄関を開けなかったのか、開けていれば死なずに済んだかもしれない。ジェニーは、身元不明で死んだ彼女が一体誰なのか調べ始めるのだが…。
監督は、ジャン=ピエール・ダルデンヌ&リュック・ダルデンヌ兄弟。
「制作の背景としては、各国からの移民がヨーロッパに大挙して押し寄せているという事実があります。ただそれが出発点というわけではなく、以前から考えていた“医者を映画に登場させる”というアイデアを実現しようと考えたのが始まりでした。人の命を助けたり、死なないように治療したりすることが医者の使命ですが、その使命に反するようなことが起こってしまい、ものすごく責任感を感じた医者がいたらどうだろうというところから物語が生まれたのです。」(リュック)
ジェニーは思い立ったら行動しなくては気が済まないらしい。命を救う仕事をしているはずの自分が、偶然とはいえ誰かの死に加担したことになってしまった。責任感が強いと言えばその通りだが、その行動は執拗である。
映画は死んだ女性の身元を探っていく中で巻き起こる様々な騒動を、淡々と記録してゆく。サスペンスと言えばサスペンスだが、抑制されたトーンが日常の延長で起きる出来事だという印象を与える。
この作品はすべてのカットにジェニーが映っている、と思う(確認してませんが)。そのためにこれはジェニーから見た世界ということになる。にもかかわらず彼女はほとんど感情を表に出さないために、印象として残るのはジェニーの「行動」そのものだ。
そしてその動きは監督によって厳しく制御されている。
「私たちは「この人物はこういう人だからこういうことを考えていて……」というような指示の仕方は一切しません。まずはその人物として動いてもらって、「動きが少し違う」「速さが少し違う」といったような指示をしていくんです。実際の動きを見ながら、マイナスなポイントを改善していくので、演技をつけるというよりは、“引き算”をしていく作業なんです。」(リュック)
ドキュメンタリータッチでありながら抑制されたトーン、という独特さはここからきているのだろう。
やがてジェニーの行動の余波が思わぬところに届く。それを目の当たりにすると、彼女の「行動」は医者としてすべきことの一つだったかもしれないと納得されてくる。
ある行動を起こすことのよしあしを考えさせるのは、前作「サンドラの週末」※と同じ。そして行動を起こすことは、意図せず何かを変えてしまう、ということも。
監督・脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
主演:アデル・エネル、ジェレミー・レニエ、オリヴィエ・ボノー
原題:La Fille Inconnue
ベルギー=フランス 2016 / 106分
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