映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

由宇子の天秤

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川べりで中年男性をインタビューするテレビの撮影クルー。話しているのは、この場所で亡くなった娘の父親らしい。周りでプロデューサーが時間を気にしてやきもきするが、女性のインタビュアーは意に介さず、ぎりぎりまで相手の言葉を待っている。「娘さんにどういう言葉をかけてあげたいですかと?」という質問は陳腐だが、帰ってきた言葉は父親の悔いを素直に表現していた。

 

このディレクターは木下由宇子(瀧内公美)。3年前の「女子高生いじめ自殺事件」を追っていた。亡くなった生徒は学校講師とのあらぬ疑いをかけられており、後日その講師も自殺するというスキャンダラスなものだった。父親は「娘は学校と報道に殺された」と語り、由宇子は過剰な報道がもたらしたものを訴えたいと考えていた。

 

しかし、VTRの試写で局のプロデューサーは「報道が殺したんですよ」という言葉をカットしろという。「誰が得するの?」とも。由宇子は結局その指示に従うが、今度は自殺した講師の家族を取材することで、当初の意志を貫徹しようとするが…。

 

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「由宇子の天秤」というタイトルの意味はやがて明らかになる。取材がうまく行き放送の予定もたったある日、小さな塾を経営する父親(三石研)が、教え子のめい(河合優美)と関係を持ち妊娠させていたことが発覚するのだ。父親は「めいの父親に話に行く」というが、由宇子はそれを止め、内密に堕胎させる道を選んだ。もし示談が受け入れられなくて公になったら自分も父親も社会から抹殺される。

 

「失うものが大きすぎるんだよ。お父さんは自分が楽になりたいだけじゃない。しんどくてもちゃんと背負いなよ。私も背負うからさ」

 

だが、由宇子は同級生から、めいが「ウリ」をやっていたという話を聞く…。

 

監督は「家族へ」の春本雄二郎。ネットリンチの記事に触発されて企画を思いついたという。 

「果たして今目の前にある情報は真実なのか?常に絶対に正しい人間など存在するのか?私たち人間は、それほど強く完璧な存在なのか?…私は『彼ら(ネットリンチを行う人)は人間として“ある重要なもの”を失くしてしまっているのではないか』と考えました。それについて掘り下げてみたいと思うと共に、その先に待ち受けている社会を描いてみたいと思ったのです。」

 

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ディレクターとして真実を追求したいと思っている人間が、みずから事件の当事者となった時、真実に対してどのように振舞うのか? 真実を隠そうとすれば、自分が仕事で主張していることと矛盾が生じてしまう。逆に真実を明るみに出せば、自分はもちろん多くの人に壊滅的な影響を与える。由宇子はこの二律背反の間に立たされ、もがき苦しむ。

 

由宇子は、めいを内密に堕胎させるため医者に、父親に犯され妊娠した少女だと噓を言う。しかし由宇子の知り合いでもあるその医者は、内密理の堕胎についてこういうのだ。

 

「それって根本的な解決にはならないよね」

 

普段の由宇子なら、その父親を糾弾するはずだと医者は暗に言っているのだ。由宇子はこの時、正義の報道ディレクターではなくなっている。局のプロデューサーに、「報道が殺したんですよ」という言葉をカットしろと言われた由宇子は怒って席を立ったが、自分が同じことをしてしまっているのだ。

 

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ただ、そもそも報道の仕事は常に正義なのか? また、真実は公にしなければならない、という暗黙の前提がマスコミにあるようだが、果たしてどんな場合にもそれは当てはまるのか? いずれもちょっと疑ってみなくてはいけないのではないか。

 

何のためにその真実を公にする必要があるのか。そしてそのことは、考え得るどんなマイナス要素があってもあえてするほどの意味のあることなのか、と。

 

「女子高生いじめ自殺事件」で自殺した講師の母親は、世間の糾弾を恐れ隠れるように暮らしていたが、母親の自宅を訪れた由宇子は彼女にこう言う。

 

「私は誰の味方になることも出来ません。でも光をあてることは出来ます」

 

ディレクターとしていい言葉と思うが、でもやっぱり、続けてこう問わないといけないのだ。

 

「何のために光をあてるのか?」

 

と。

 

監督・脚本・編集:春本雄二郎

主演:瀧内公美、三石研、河合優美、梅田誠弘

日本  2020 / 152分 

 

映画『由宇子の天秤』オフィシャルサイト (bitters.co.jp)