映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

国境の夜想曲

f:id:mikanpro:20220213205148j:plain

古い城のような建物の中、頭にスカーフを巻いた女性たちが歩いてゆく。ある部屋の一室から女の嘆きの歌が聞こえる。息子をこの部屋で亡くした母親のようだ。

 

お前の気配をここに感じる…

 

かつてここは牢獄だったのだろう。母親が見つめる写真はひどい拷問を受けた男性の写真。

 

お前はここでひどく打ちのめされた

お前はここで拷問を受けた

お前はここで殺された…

 

映画はイラク、シリア、レバノンクルディスタンの国境地帯を3年に渡って撮影したドキュメンタリー。監督は「海は燃えている」海は燃えている  - 映画のあとにも人生はつづく (hatenablog.com) のジャンフランコ・ロージ。きわめて複雑な政治情勢があると思うが、説明は一切なし。国境付近に暮らす人々の息吹というものを、むしろそれだけを伝えている。

 

前作ではまだ、映されている人々がどのような人なのか、どういう考えを持っているかなどの基本的な情報が与えられるが、今回の作品はむしろそのような情報をあえて避けているようだ。日本の映画監督、濱口竜介との対談で、作品を俳句に例えてこう語っている。

 

「国境とは曖昧な線であり、私が出会った人々が抱える葛藤、生と死もはっきりしない薄い線で引かれています。例えば松尾芭蕉のように、観察によって永遠化して情景をとらえるのが俳句であり、引き算の美学と言えます。『比喩のない映画は映画ではない』と私は思っていて、映画言語を伝える上で、俳句のように何を永遠化し提示するかを考えています。」

 

f:id:mikanpro:20220213205216j:plain

映像は象徴的に何かを映し出しているが、それが示すものは見る側の意識が反映する鏡のようなものだ。これだけの映像を撮影するのに、どれほどの時間と忍耐が必要だったか。そして情報がない中で聞こえてくるのは人々の声、声、声…。それが圧倒的な印象を残す。

 

息子を亡くした母親の嘆き、イスラム国に殺された家族の絵を描く子どもたちが語る言葉、精神病院でこの地域の歴史を舞台で演じるために、患者が繰り返す台詞。そしてシリアに連れ去られた娘が母親に送り続けた音声メッセージ…。

 

f:id:mikanpro:20220213205241j:plain

唯一アップで顔が捉えられている少年は、名前をアリという。おそらくは父親が不在で、母親と幼い弟妹と暮らす。鳥を撃つ猟師のガイドでわずかなお金を稼ぐのみ。アリはある朝再びガイドの仕事に呼び出されるが、待ち合わせの場所に猟師が現れない。不安げにあたりを見回すアリ。アリの体から発散する不安が、この草木のほとんどない土地そのものの不安のようにまっすぐに、見ている私たちを撃つ。そして映画は唐突に終わる。

 

監督・撮影・音響:ジャンフランコ・ロージ

イタリア・フランス・ドイツ  2020/ 104分

「国境の夜想曲」2022年2月11日(金・祝)Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次ロードショー! (bitters.co.jp)