映画のあとにも人生はつづく

最近見て心に残った映画について書いています

復讐者たち

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映画の冒頭、観客に問いかけるナレーションで始まる。

 

「何の罪もない兄弟姉妹、両親、子どもたちが殺された、と知ったとき、あなたならどうする?」

 

ドイツ。郊外の農家にひとりの男が現れる。ホロコーストを生き延びたユダヤ人のマックスだ。家主は猟銃を持って迎える。「なぜ密告した?」と詰め寄るマックスを銃尻で叩きのめし、二度とこの家に近づくな、と言う。

 

マックスは妻と子を探すため、ユダヤ人の難民キャンプに行くが、そこで妻と子の最期を目撃した女性の話を聞く。自ら穴を掘らされ穴の淵に立たされる。銃弾が無くなるとナイフで、疲れてくると生きたまま。翌朝も土が動いていたと語る。

 

絶望にあえぐマックスは、難民キャンプに来ていた「ユダヤ旅団」への参加を訴える。「ユダヤ旅団」は、英国軍の指揮下にあったが、密かにナチスの残党を探し出し処刑していたのだ。参加を許され次々に処刑を実行するマックスだったが、ある時「ユダヤ旅団」よりはるかに過激な集団「ナカム」と出会う。「ナカム」は、同胞600万人が殺された復讐として、ドイツ人600万人を殺害する計画をもくろんでいた…。

 

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監督はイスラエルのドロン・パズとヨアヴ・パズ。親しい友人の祖父の経験談と、実際にあった「プランA」と呼ばれる大規模殺害計画の事実をもとにして作った。

 

「登場人物たちを執筆する際は、ナチスに家族や600万人ものユダヤ人同胞を殺害されたことで、かつては人生を謳歌していた人々が、何百万人もの命を奪うことを願う人間に変わってしまったという事実に重点に描いた。彼らは激怒し絶望した自警団であった一方で、人生に対する情熱に満ちた人間でもあったのだと。」

 

「ナカム」は、ユダヤ民族の国家を建設しようとする人々にとって危険分子だった。大規模な復讐計画が実行されれば国際社会の理解を得ることが難しくなるからだ。マックスは最初、実行を阻止するスパイとして「ナカム」に潜り込む。

 

アウシュヴィッツでは、来所する同胞を案内する役割だったマックス。なぜ反旗を翻さなかったのか。「ユダヤ旅団」にいるときそのことを問われ、何も言い返すことが出来なかったが、「ナカム」のリーダー、アッバ・コヴナーを前にしてその心情を吐露する。

 

「あれからずっと自問自答を続けてきた。なぜ自分は何もしなかったのだろう?」

 

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「ナカム」には、一人息子を亡くし毎晩のように夢でうなされる女性、アンナがいた。アンナもまた悔いを抱えながら生きていた。自分のせいで息子が死んだかもしれない、と。マックスはこのアンナと出会ったことで、「ナカム」の計画に自らのめり込んでいくようになる…。

 

批評家・編集者の夏目深雪氏によると、犠牲者の子孫(イスラエル人)がナチスホロコーストをテーマに映画を製作することは珍しいという。背景にさまざまな政治的理由があるようだが、自分たちの歴史を自分たちで再検証しようとする、新たな世代の登場という側面もあるのかもしれない。ちなみに主演のマックス役はアウグスト・ディール。テレンス・マリックの「名もなき生涯」で主役を演じたドイツの俳優であるが。

 

不条理な悔恨を抱え苦しみながら、復讐へと邁進するマックスとアンナ。やがて計画が進行するにしたがって、ふたりはそれぞれある「選択」をする。それは、この監督たちが映画を作るにあたって、関係者へのリサーチを繰り返しながら行きつき、おそらく言わずにいられなかったメッセージなのだろう。

 

そしてその上で再び冒頭の問いが繰り返されるのだ。

 

「何の罪もない兄弟姉妹、両親、子どもたちが殺された、と知ったとき、あなたならどうする?」

 

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ホロコーストを題材にした作品で、ここで紹介したものでは

手紙は憶えている - 映画のあとにも人生はつづく (hatenablog.com)

アイヒマン・ショー - 映画のあとにも人生はつづく (hatenablog.com)

否定と肯定 - 映画のあとにも人生はつづく (hatenablog.com)

などがあります。いずれも考えさせられる映画でおススメです)

 

脚本・監督:ドロン・パズ、ヨアヴ・パズ
主演:アウグスト・ディール、シルヴィア・フークス
ドイツ・イスラエル  2020 / 110分

 

映画『復讐者たち』公式サイト (fukushu0723.com)

 

ミナリ

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失敗するとわかっててあなたを信じるなんて。私は疲れ切ってるの

                               (モニカの言葉)

アメリカ南部アーカンソー州の田舎道を引っ越しのトラックが走る。到着したのは何もない原っぱのような平原。そこに1台のトレーラーハウスが停まっている。

 

「ここは何?」

 

と聞く妻に

 

「家だよ」

 

と答える夫は二人の子どもを家に上げ、うれしそうだ。彼ジェイコブ(スティーヴン・ユァン)は韓国から海を渡ってやってきた。10年近くひよこの雄雌鑑別の仕事を続けてきたが、農業で一旗揚げるためにこの土地に越してきたのだ。ただ、妻のモニカは賛成ではなさそう。家庭菜園くらいに思っていたらこの広さ。早くも不満顔だ。なにより7歳の長男は心臓が悪く、病院まで1時間かかる。

 

到着早々、大雨と竜巻がこのあたりを襲う。テレビの警報を見ながら逃げる準備を、と叫ぶジェイコブ。

 

「トレーラーが持っていかれてしまう!」

 

激しい落雷の音。おびえるモニカと子どもたち。停電したと思ったら、すぐにテレビが復活して、竜巻警報は注意報に代わる。ほっと一息つくジェイコブだが、その顔を見てモニカの怒りが爆発する…。

 

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この作品の公開は今年3月だったが、最近いくつかの小さな劇場で再び上映している。韓国系移民の家族の物語。監督のリー・アイザック・チョンは、自身も韓国系移民2世で、実話をもとにしているという。この作品で出てくる長男のデイビッドは、彼自身を投影している。

 

「僕がこの映画で一番言いたいことは、お互いの良い部分を見いだしてほしいということだ。この一家を、正直で誠実な目で見てほしい。僕たちは、人の表面的な部分を見てレッテルを貼ってしまうことがあるけれど、実際には共通する部分の方が多いんだ。一部の人は、この映画を『韓国系移民の物語を代弁してくれた』と捉えるかもしれないけれど、僕は世界のどの地の人であろうと、この映画の登場人物に共感できると思っている。」

 

主人公のジェイコブを演じるスティーヴン・ユァンは、韓国のイ・チャンドン監督の「バーニング」の印象がとても強い(バーニング 劇場版 - 映画のあとにも人生はつづく (hatenablog.com)。あの映画では現代韓国の格差社会で、能力のないものは廃棄すべき、という考えの持ち主として登場する。この映画でも、成功していないだけで根柢の考え方は同じかもしれない。選別されたひよこのオスが廃棄される煙を見上げて、息子のデイビッドに語り掛ける。

 

「オスは美味しくないし、卵も産まない。役立たずさ。役に立つようにならないとな」

 

夫婦は話し合って、モニカの母親をよんで一緒に暮らすことにした。外で働いている間に子どもたちの面倒を見てもらうためだ。異国にいる寂しさのためか、モニカは母親の持ってきた粉唐辛子や煮干しをみて涙を流す。

 

おばあちゃんは、料理もできず子どもたちを失望させるが、代わりに花札を教えるなど自由奔放な人だ。その人が川辺に韓国から持ってきたセリの種を蒔く。このセリのことを韓国語で「ミナリ」という。おばあちゃんが言うには「ミナリ」は金持ちも貧乏人も大好き。みんな食べてみんなが元気になる。

 

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もう一人ユニークな登場人物がいる。農場を手伝うポールだ。かれは柱のような木を組み合わせて作った大きな十字架を、運んで歩くのを日課にしている。村の人たちはそれを見て「十字架男だ」と笑う。とても貧乏のようだが、とても誠実だ。ある時ジェイコブ家の夕食に招かれて、モニカが匂いがきついだろうとキムチを下げようとするとこう言うのだ。

 

「キムチを遠ざけないで、大好きなんだ」

 

いい奴である。

 

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ジェイコブは、韓国野菜に商機があると考え、レタス、パプリカなどを栽培するが、これでもかというくらい、いくつもの試練が降りかかってくる。モニカは疲れ果て、ついに別離を決心するのだが…。

 

終盤におばあちゃんが、疲れ切って雑魚寝している4人をじっと見つめるシーンがある。軍事政権下の韓国を出て2人で海を渡ってきた。そして10年、子どもを授かりこの地に辿り着く。ミナリを植える、とは、その土地に根を下ろし葉を広げていくことの象徴だ。この時、おばあちゃんの目に映るものは何なのか、とても静かでいいシーンだった。

 

エンドクレジットには、このおばあちゃんの良き思い出に敬意を表して、「すべてのおばあちゃんに」と記されていた。

 

脚本・監督:リー・アイザック・チョン
主演:スティーヴン・ユァン、ハン・イェリ、アラン・キム、ユン・ヨジョン
アメリカ  2020 / 116分

 

映画『ミナリ』公式サイト

 

わたしはダフネ

 

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匂いを嗅いでみて。同じ匂いがするでしょう? 

                      (ダフネの母親の言葉)

 

ダフネ、赤い髪の女性。靴に入り込んだ石ころを気にしていたが、取れると母親と並んで歩いてゆく。イタリアの夏の別荘地。休みが終わり、そろそろ帰り支度というときに、ダフネの声が響く、「誰か助けて!」と、走ってゆく。場面が変わると母親が亡くなっており、父親と二人取り残される。声をあげて泣く。

 

ダフネはダウン症である。葬儀が終わると再び働きに出る。出かけるとき、心配する父親にダフネが言う。

 

「忘れないで。私とあなたはともに働いていて、私たちはひとつのチームなの」

 

近所のスーパーマーケットでは、みなが温かく迎える。みなダフネのことが大好きだ。物おじせず思ったことを言う。自信たっぷりでそして裏表がない。新しく入った女性とダフネの会話が面白い。タバコを吸おうとする女性に、ここは禁煙よ、とやんわり注意するダフネは、自分がこの店で働くことがどんなに楽しいかを語る。

 

「この店が死ぬほど好き」

 

「どこが好きなの?」

 

「全部よ。全部。特に無から創り出すところね」

 

「創るって何を?」

 

「ラベルよ」

 

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しかし、ダフネよりも父親のルイジがショックから立ち直れず、心配するダフネはお母さんに会いに行こうと提案する。それも歩いて。二人は山道を歩いて母親の故郷に向かうが…。

 

監督は、イタリアのフェデリコ・ボンディ。11年ぶり2作目の長編作品である。

 

「数年前、年老いた父親とダウン症の娘が手を繋いでバスの停留所にいるのを見た。疾走する車と通行人の中でたった二人、静かに立ちつくすその姿は、まるでヒーローかサバイバーのようだった。そのイメージと、その時に抱いた感情にインスパイアされて生まれたのが『わたしはダフネ』だ。あの光景は、物語のより深いところへ私を押し進めてくれた煌めきだった。」(ディレクターズノートから)

 

ダフネを演じたのは、カロリーナ・ラスパンティ。彼女もダウン症で、実際に近所のスーパーで働いている。また活動的な人らしく2冊の自伝小説を上梓。監督はカロリーナさんをYou Tube で見かけて声をかけたという。

 

「カロリーナはダフネそのものだ。脚本執筆時や撮影中、私の主なインスピレーションは“リアリティ”だった。カロリーナが映画に合わせるのではなく(彼女は脚本を1ページたりとも読んでいない)、映画がカロリーナに合わせる必要があった。(同上)

 

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母親の生まれたトスカーナ地方。山間の宿にたどり着いた二人。宿の女主人が、ダフネのいないとき父親のルイジに、「いつも口を開けているのかと思ってた」と語りかける。

 

ルイジは「私もそうだった」と語る。ダフネが生まれて三日間は病院に行けなかった。周りが祝福してくれるのにも関わらず。その時、母親が言ったのだ。

 

「匂いを嗅いでみて。同じ匂いがするでしょう?わたしたちと同じなの」

 

旅の終わりにダフネは父親のルイジに、ある贈り物をする。それは母親にまつわるとても親密な贈り物で、ルイジに語った先ほどの言葉を思い出させる温もりがある。

 

これは、見終わった後、なぜかわからないが、とても幸福な気持ちになる映画。それはカロリーナ・ラスパンティの周囲の人が感じている気持ちに近いのかもしれない。

 

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監督・脚本:フェデリコ・ボンディ
主演:カロリーナ・ラスパンティ、アントニオ・ピオヴァネッリ
イタリア  2019 / 94分

公式サイト

『わたしはダフネ Dafne』公式サイト|7/3(土) 前を向いてロードショー! (zaziefilms.com)

 

ファーザー

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「あなたはいったいいつまで我々をイラつかせる気ですか?」                                  

                                (娘婿の言葉)

 

ロンドンで一人暮らす81歳のアンソニーアンソニー・ホプキンス)。娘のアン(オリヴィア・コールマン)が慌てて部屋に入ってきたかと思うと、介護人が辞めてしまったと文句を言い始める。アンソニーが暴言を吐いたからだ。だから介護人なんていらないと言ったんだ。しかも娘はロンドンを離れてパリで暮らすという。私を一人にする気か?

 

部屋に見知らぬ男がいる。誰だ?男は娘の夫で今は一緒に暮らしているという。しかもこの家が私の家でなく自分たちの家だと言っている。広くて居心地がいいこの家に何年も暮らしてきたのはこの私なのに。そうかと思えば見知らぬ女性が玄関から入ってきて、私の娘だという。しかも5年前に離婚してるから夫はいないと…。まったくわけが分からないけど、まあいいや。

 

予備知識なく見ると、これは誰かの策略なのか、とも思ってしまうが、やがて認知症によるものなのだとわかってくる。認知症の本人の側から見た周りの世界なのだ。それは目の前の現実を認識できないだけでなく、時間と空間が好き勝手に浮遊する世界。監督はフロリアン・ゼレールというフランスの劇作家。自身の脚本による舞台の映画化である。

 

認知症というテーマは現代において最も悲しい問題です。それに、誰もが共感できる問題でもあります。誰だって怖いでしょう、自分自身を失ってしまうことは。…本作は認知症についてのストーリーですが、観客には自分の話として捉えてもらえたら、自分が経験しているような気持で観てもらえたらと願っています。迷路のような作品なので、観客は自分自身で出口を探さねばならなくなるはずです。」

 

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ストーリーは、フランスで暮らす予定の娘のアンが父親のアンソニーをこれからどうすればいいか、という悩みの中で進んでいく。最近一人暮らしだった父親を自分たちの家によんだばかりだ。アンソニーは現実が理解できないだけでなく、時計を盗まれるという妄想を繰り返し語り、周囲を辟易とさせる。

 

同居するパートナーは、さっさと施設に入れろという。それを盗み聞きしてしまったアンソニーはショックだったのか、同じシーンが2度繰り返される。そして、我慢できなくなった娘のパートナーが詰め寄ってこういうのだ。

 

「あなたはいったいいつまで我々をイラつかせる気ですか?」

 

これも相手を変えて2度繰り返される。

 

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見ていると、人生の最後とはこんなものなのかと少し寂しくなる。アンソニーはおそらくは実社会で成功した人なのにも関わらず。いやむしろそうだからこそよけいに。

 

人生はどの断面で見るかによって随分印象が変わってくる。ただ、結局関係の薄い人にとっては「今」という断面しかない。年を取ると、いい時の断面を知ってほしくて、過去を何度も繰り返し語るようになるが、「今」という断面から見ると、昔の話をくどくどするお年寄りにしか見えない。そこに認知症となるとその断面も妄想なのだ。

 

(ひとの一生とは何なんでしょうね)

 

そういった、誰にとっても普遍的な問いかけが頭をよぎり、そして答えを得られずに悶々とする。しかしアンソニーがすべての「問い」から解放されたとき、そこには計り知れない境地があるのかもしれない。

 

(あると考えたいです)

 

ちなみに、認知症の老人が主人公の映画で印象深いのは、ナチスへの復讐と絡めた、

手紙は憶えている - 映画のあとにも人生はつづく (hatenablog.com)

です。

 

監督・脚本:フロリアン・ゼレール
主演:アンソニー・ホプキンスオリヴィア・コールマン
イギリス・フランス  2020 / 97分

公式サイト

映画『ファーザー』オフィシャルサイト 2021年5/14公開 (thefather.jp) 

名も無い日

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「怖ろしくて怖ろしくてどうしようもない。こんな気持ち、あんたにわかるん?」

                                                                                                (章人の言葉)

 

 熱田神宮の熱田まつりは毎年6月、名古屋に夏の到来を感じさせる祭りだという。お椀をさかさまにした形にいくつもの提灯が飾られ、高さ18mの巨大な光のモニュメントが海を渡ってゆく。それを見ている男の後ろ姿がこの映画のファーストシーンである。

 

ニューヨークでカメラマンとして活躍する達也(永瀬正敏)は、何年かぶりに故郷に帰ってきた。しかし帰る家は、廃墟のように人を近づけない建物に変貌している。街中のビジネスホテルに泊まる達也だが、そこに弟、隆史(金子ノブアキ)夫婦も泊まっていた。

 

何があったのか、見る人には少しずつしか情報が与えられない。だんだんと分かってくるのは、この兄弟には間にもう一人の兄弟がいて、最近亡くなってしまったらしいということだ。それも尋常な死ではない。隆史は兄の達也に「明日警察だから」と念押しをする。

 

そのもう一人の兄弟、次男の章人(オダギリジョー)は、東大とハーバードを卒業した秀才で、一流企業に勤めていたという。その男が不審な死を遂げた。

 

達也は、立ち寄った居酒屋の前で、高校時代の同級生明美今井美樹)と再会する。明美は高校時代の級友がみな、その当時事故で亡くなった友人のことを忘れているみたいで許せない、と達也に語る。

 

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弟の章人と高校時代の友人。物語はこの二人の死をめぐり、のこされた者たちの思いで刻まれてゆくことになる。

 

監督は写真家でもある日比遊一。実話をもとにしているという。というより、実際の経験をどうしても映画にしたかったのだ。

 

「最初にあったのは死んだ弟への罪悪感でした。僕は18歳で地元を飛び出し、それから実家に帰らず、あまり兄弟とも過ごしていなかったんです。世界40か国くらいに行き、すべてを知ったように思っていたけれど、本当は兄弟や実家、地元のことをまるで何も知らない。弟に対して何かできたのではないかと思い、もういない彼への手紙を書いたこともあります。」

 

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章人は、他の二人の兄弟が実家を離れ自由に生きている間、がんで早くから闘病生活に入った父親と、病弱な母親を支えていた。しかし両親が亡くなった後、一人で家のなかに引きこもるようになり、さらには片目を患ってしまい…。

 

ある時、達也が実家に戻ると、部屋に引きこもったままでろくに掃除もしていない章人がいた。「どうしちまったんだ?」と詰め寄る達也。後ろ向きのまま章人が呟く。

 

「かっこいいよな。かっこいいよ。正義の味方。」

 

そしてこう続けるのだ。

 

「怖ろしくて怖ろしくてどうしようもない。こんな気持ち、あんたにわかるん?」

 

章人が死体となって発見されたとき、すでに6か月が経過していた。「孤独死」と言われる。それまで周りの誰にも気づかれなかった。のこされたものたちが抱える後悔ははかり知れず、渦巻く感情の収まりがつかない。

 

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 一方元同級生の明美は、友人を事故で亡くしてから26年間、人生の時を止めていた。ひとりで誰とも交わらずひっそりと生きている。ここにも大きな荷物をかかえて取りのこされたものがいる。あるときいつもの墓参りに達也を誘うが、そこに亡くなった友人の母親がやってくる。母親を前にした明美は、堰を切ったように26年前の、ある後悔を語る…。

 

一言でいうなら無骨な映画だと思う。ガシガシという音が聞こえてくるような。でもそれはやはり魅力ということなのだろう。監督が、実際の弟の死後にあてた手紙が、自筆のままパンフレットに掲載されている。弟への思いと自身の後悔にあふれた文章が心に響く。

 

「・・・なに?お前、笑っとるか? 『お兄ちゃん、またそうやって格好つけて、だめだって』 わかっとる、うん、生きるって簡単じゃない、わかっとるがや でも、俺は・・・まだまだ生きる、生きたる 章人、・・・お前と向き合って、いつまでもいつまでもどんなことでもどんなときでも お前と付き合ったる」

 

監督:石井裕也
主演:永瀬正敏オダギリジョー金子ノブアキ今井美樹真木よう子
日本  2021 / 124分

 

公式サイト

映画「名も無い日」公式サイト|2021年6月11日全国公開 5月28日東海3県先行公開 (namonaihi.com)

やすらぎの森

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「苦しみから逃れるために孤独になった。今だったらそんな選択はしない」

(画家テッドの言葉)

 

カナダ、ケベック州の南西部。鬱蒼とした針葉樹の森のなかに小さな湖がある。畔に暮らすのは世を捨てた3人の老人。ウサギを捕まえ、魚を釣る自給自足の生活。湖で、飼い犬と水浴びをするのが毎朝の日課だ。ある時一人の老人が心臓発作で亡くなる。その老人テッドはこの場所でひたすら絵を描き続けていた。

 

入れ替わるように一人の老女がやってくる。60年もの間精神科病棟で暮らしていたシェルトルード。16歳までこの地域で暮らしていたシェルトルードは、弟の葬儀のために外出したのをきっかけにこの森に逃げ込んできた。

 

「兄弟のことはまったく覚えていない。幻のよう。でも森と湖は忘れられないの」

 

シェルトルードはマリー・デネージュという新たな名前を自分につけ、画家テッドが暮らした小屋で人生を再スタートさせた。

 

そしてもう一人の登場人物。若い女性写真家のラファエルは、かつてこの地域を襲った山火事の生存者の証言を撮り続けていた。そして画家テッドが家族を6人もなくしていたことを知り、この森に足を踏み入れる。彼のアトリエにあったのは、かつての山火事を彷彿とさせる絵の数々だった…。

 

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監督はカナダのルイーズ・アルシャンポー、51歳。原作の小説「And the Birds Rained Down(そして鳥が雨のように降ってきた)」を読んだときの印象をこう語っている。ちなみに映画の原題は小説のタイトルの仏訳で、かつての山火事についての証言から引いている。

 

「ジョスリーヌ(原作者)の筆致は非常に映画的でした。カナダ・ケベック州のアビティビ川近く、森の中に隠れた世捨て人たちのキャビン、霧の中、暗い湖が鮮明に描写され、湿った森や衣類、薪ストーブのにおいまで感じ取ることができます。私たちは、年老いて警戒心も強い世捨て人たちの日常生活を目にします。彼らの満たされた生活を見る一方、突如として現れた80歳のジェルトルード/マリー・テネージュに魅了されるのです。」

 

マリー・テネージュはやがて、家族を捨てこの森に来たチャーリーと恋に落ちる。ふたりが愛を交わすシーンは静かで穏やかでとても美しい。演じたアンドレ・ラシャペルは撮影当時88歳というから驚く。マリーはこうした行為は何度も経験があると語る。ドアの裏とか部屋の片隅で、入所者や職員と。出産もしたことがある。でも愛撫やキスは経験がないという。チャーリーはいつまでもマリーの肌を撫でつづける。 

 

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写真家のラファエルは、テッドが遺した絵の中に一枚だけ女性の肖像画があることに気づく。隠遁者テッドにも秘められた恋があったのだ。しかし山火事での惨劇の記憶がテッドを苦しめ、そのことで愛をうまく育むことが出来なかったという。そして逃げるようにこの森に隠遁した。何年もたってから相手に送られた彼の手紙にはこう記されていた。

 

「苦しみから逃れるために孤独になった。今だったらそんな選択はしない」

 

森も永久に静かではありえない。再びこの地域に山火事が起こり、広がる火の手が湖に近づいてきた。州警察に見つかると大麻を栽培していることや、マリーが精神病院から抜け出してきたことが知られてしまう。どうするか?もう一人の老人、ミュージシャンのトムは体の不調があり、青酸カリでの死を選ぶ。マリーとチャーリーは果たして?

 

マリー役のアンドレ・ラシャペルは、この作品が遺作となった。撮影の数か月後がんが見つかり、その1年後に尊厳死を選んだ。家族に囲まれ歌を唄って笑って亡くなったという。この映画のテーマの一つは、自分で死ぬ時を選ぶ尊厳死。不思議な因縁だ。享年88歳だった。

 

監督・脚本:ルイーズ・アルシャンボー
主演:アンドレ・ラシャペル、ジルベール・スィコット、エブ・ランドリー
カナダ  2019 / 126分

 

公式サイト

5/21(金)、全国順次公開『やすらぎの森』公式サイト (espace-sarou.com)

 

茜色に焼かれる

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30がらみの男が鼻歌を歌いながら自転車に乗っている。幹線道路の交差点を渡ろうとするが、1台の乗用車が猛スピードでやってくる。あっという間の事故。乗用車にはアクセルとブレーキを踏み間違えた高齢ドライバーが乗っていた。

 

物語はその7年後から始まる。事故で亡くなった男(オダギリジョー)の妻、田中良子尾野真千子)は中1の息子と公営住宅でふたり暮らし。良子は息子の順平から見ても変わり者の母親だ。先日も夫を死なせた高齢ドライバーの葬式に出かけてゆき、追い返されたばかり。高齢ドライバーはいわゆる高級官僚で、アルツハイマーだったということで罪に問われることなく92歳の天寿を全うしていた。

 

良子はこの事故から少しも立ち直れていない。映画は物語を進めていくというよりも、少しずつ良子の身の回りのことを明らかにしてゆく。少し前までカフェを営んでいたがコロナで閉業。スーパーの生け花コーナーでバイトしていること。それだけでは生計がたたず、風俗店でも仕事をしていること。なぜ生計が立たないかといえば、義理の父親の老人ホーム代に10万以上かかり、かつ夫の愛人の娘のために養育費を出していること。

 

そんな良子の生活にある日大きな変化が現れる。中学の同級生の男と偶然再会したのだ。その男は妻と離婚したという。分かりやすく華やいで見せる良子だったが…。

 

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監督は、「夜空はいつでも最高密度の青色だ(夜空はいつでも最高密度の青色だ - 映画のあとにも人生はつづく (hatenablog.com)石井裕也。空の色にこだわりがある人なのだろう。地べたを這いずる人間のどうしようもなさを描いて、空の色とはまったく関係がないように見える映画だが、逆にだからこそ空に惹かれるのかもしれない。

 

「コロナ禍でシングルマザーを出して、風俗もあって理不尽な事故もあり、いじめまである。そういう要素だけを列挙すると当然、『私は弱者の立場に立っています』という偽善的なものに見える。嫌ですよ。そういう作品が他にあったら、僕自身が作り手に疑念を持ちます。なのに、今回は何故か自信がありました。多分、本当にやりたかったことがその先にあったからだと思うんです。散々な苦難の先にある、今この時代にしか描けない強烈な愛と希望です。」

 

良子のまわりにはろくでもない男が集まってくる。自分の父親の名誉を守ることだけに必死な事故を起こした高級官僚の息子、細かなルールを盾にいつも難詰するスーパーの店長、風俗嬢を貶めることでプライドを保とうとする風俗店の客。それぞれの理不尽を、良子は作り笑顔で受け止める。時には相手をハグして「まあ頑張りましょう」と言う。

 

ある時風俗店の店長(永瀬正敏)が、リストカットを繰り返す女の子がいたことについて触れ、「なぜ生きたくないのにみんな生きてるんだろうね。死にたきゃ死ねばいいのに」というと、良子は大笑いして同意する。「そうですよね。死にたければ死ねばいいんですよね」

 

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なぜ怒らないの?と風俗店の仲間のケイは言う。なぜそんなことで笑えるの? しかし良子は7年前から死にたがっているのかもしれないと思う。悲しいから笑っているのだ。怒りと悲しみを内に抱え静かに笑っている姿勢は、日本人の多くが持つ特性なのだろうか。

 

ただ事故の賠償金を受け取ろうとせず、風俗の仕事も辞さない良子には、強固なプライドがある。賠償金を受け取らなかったのはドライバーが謝らなかったからだという。

 

「一言も謝らず、虫けらのように扱ったの」

 

ただその怒りは受け身の怒りだ。攻撃的ではない。

 

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そんな良子にも怒りを爆発させる時が来る。まっとうな怒りはまっとうなコミュニケーションの道を開く、といいのにと思う。しかし地べたの日常はそんな風にきれいに展開するはずがない。だからこそ空の色が美しく見えるのだ。その時、傷ついた良子が流した涙はびっくりするほどに眩しく、今も忘れられないでいる。

 

監督・脚本・編集:石井裕也
主演:尾野真千子、和田庵、片山友希、永瀬正敏
日本  2021 / 114分

 

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